【米】式年遷宮20年サイクルと米の関係

食と健康

最近「日本の米」富山和子著を読み、日本の米作りが日本の土地や環境、文化を作ってきたことを知った。

だから日本人の主食は米だったのかと納得した。

しかし、式年遷宮が20年であることにまで、稲が関係していたとは知らなかった。今日はその話をしたい。

式年遷宮とは?

式年遷宮のことをおさらいしてみよう。式年遷宮は国にとっても大行事で、20年に1度、伊勢神宮のお社を建て替える。この時使われる木材は、木曾の国有林からと決まっており、樹齢300年を超える巨木14000本を切り出す。

伊勢神宮の場合、10年ほどで小修理を加える「小遷宮」や「中遷宮」も行われてきた。

1300年続いているこの行事は、平成25年に62回目の遷宮が行われた。

この大行事、財源もそれなりに必要となるので中断された時期もあった。室町時代後期、遷宮費の徴収が困難になり、約120年間中断されたのだ。

しかし、織田信長と豊臣秀吉が献納したおかげで復活した。日本人の神に対する精神を思わずにはいられない。

式年遷宮が木曾の美林を残した

20年で建て替えなんて、我が家の家で考えればなんとももったいない話。

しかし、そのおかげで木曾の森林は手が入れられ、植林され、森林が守られている。

森林を守ることは、川を守り、それが海を守ることにもつながる。それに付随して、水田を守ることにもなり、米や魚介も守られ、それを食する日本人の命が守られるということになるのだ。

木を使うということは、健全な森林環境、ひいては日本の環境を守ることになるのだから、国費を使ってでも式年遷宮が行われることには大きな意味がある。

昔の財源は米

石油社会がやってくるつい最近まで、米は国家の財源であり、社会のエネルギー源だった。

だから、式年遷宮の財源も米だった。当時の制度では、神社の造営などの神事は、徴収し、倉に蓄えた税(米)で作り替える費用をまかなっていた。

もともと神宮の前身は、弥生時代の高床式の倉庫が原型と言われる。弥生時代は、倉庫が最も貴く神聖であった。

税である米を貯蔵し、それで建物を作り替える費用をまかなった。米は経済を動かし、人々を養った。

米の保存年限が20年

その米は、長期保存できる素晴らしい植物だが、その保存年限が20年とのこと。

え、20年ももたないでしょ?と思われただろうか。しかも貯蔵技術の乏しい時代に。

なんとこんな昔でも、米を貯蔵する技術があったのだ。蒸したご飯を乾燥させて旅などに持ち歩いた。これを、糒(ほしいい)と言う。

糒(ほしいい)の状態にすると、20年の貯蔵に耐えるのだ。

ちなみに、倉庫令というかつての法律では、「稲、穀、粟は9年、雑種は2年、糒は20年を貯蔵年限とせよ」と定められていた。

倉庫で蓄えられた税は蓄積され、米の貯蔵年限である20年まで貯え続けた後、社の作り替えを実施する。これが、式年遷宮20年周期の答えなのであった。

20年たつと、倉庫から取り出して処分するということが、律令時代、法律にも定められていたという。

神様のお供えものといえば、お花やお餅、器に盛ったご飯などが思い浮かぶ。

米を保存する倉庫が神聖なものとなり、いつしかそこに神々が住む社としてあがめられる。しかも、それは今でも続いており、米が財源ではなくなった今でも行われている。

日本人と米との深い関係。奥が深いなぁ。朝はパン派だなんて言ってないで、もっと米を食べよう!

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