HSC小3息子、マインドフルネスに挑戦。子どもでも出来る!

希望

小3の息子と一緒に、「マインドフルネス講座」を受けてきました。小学生には早いかな?と思っていましたが、案外そうでもなく理解できたようです。

HSC(感覚過敏)の兆候がある息子には、このマインドフルネスがきっといつか役に立つと確信しています。

大事な事に集中したい方、周りの環境からストレスを受けやすい方におすすめです!

マインドフルネスとは?

=MEMO=
マインドフルネスというのは、今この瞬間に意識を向けることです。
過去でも未来でもありません。

頭がモヤモヤする時、だいたい人は過去に起きた事未来への不安を心に抱いています。

過ぎ去ってしまった事、もしくはまだ起きてもいない事を考えても仕方ないのはよく分かっていても、やはり考えてしまいます。

特にコロナ禍では、そういう状態に陥りやすかったのではないでしょうか。

心ここにあらずの状態から、今に目を向けること、それがマインドフルネスです。

マインドフルネスの効果

マインドフルネスの状態にするために、瞑想を行います。

このマインドフルネス瞑想は、脳を活性化させ、ストレスをたまりにくくすることが科学的にも分かっています。

仕事のパフォーマンスも上がるので、ビジネスの世界でも注目され、社員研修にも取り入れられているとのこと。

HSC(HSP)の人におすすめしたい

今回小3の息子と参加したのは、息子の性格を見て、今後心得ていた方が為になりそうだと思ったからです。

息子は周りの環境に対して過敏に反応します。大きな音が苦手、人の言葉から敏感に察する、空気を読む、におい、肌触りなどに敏感、などなど、上げればキリがありません。

こうした人のことをHSP(子どもはHSC)と呼びます。敏感すぎて、団体行動をするとすぐ疲れてしまいます。

こういう繊細くんには、マインドフルネスが必ず役に立つと私は思っています。ただでさえ余計に考えたり感じたりしてしまう繊細くん。そこをストップして、自分のマインドを自分でコントロール出来たら、きっと楽になると思うのです。

今完璧に理解出来なくても、何か問題に当たった時に「そういえばこんなことしたな」と思い出してくれればと思います。

希望

マインドフルネスのやり方(初級)

やり方はいたって簡単です。

椅子に腰掛け、手のひらが上になるように膝の上に置きます。そして目を閉じ、息を吸って吐きます。手のひらが上にすると、手に余計な力がかからないということです。

気持ち、息を吸う時間より、吐く時間を長めにとります。1、2で吸ったら、1、2、3で吐ききるイメージ。

その間、様々なことが頭に浮かびます。例えば、今日の夕飯は何にしようとか、隣で座っている息子はちゃんと呼吸に集中出来ているかしらとか。そういう私が集中できていませんね。

そんな時、トレーナーの先生が「頭に考えがよぎってもいいんです。よぎったなぁと思って、また呼吸に戻ってきてください」と言ってくださいます。

1、2で吸って、1、2、3で吐く、、、その事を心で唱えながら呼吸すると、呼吸する難しさを感じたり、かえって息苦しさを感じる方もいます。なので、初心者はまず1分呼吸に集中することをしてみてください。

毎日やっていくうちに、段々と1分があっという間になってきます。そしたら、3分、5分と伸ばしていきます。

何回かやると、10分もあっという間に

1時間の講座では、最終的に10分の瞑想を皆で行いました。その頃には、10分もあっという間に感じてくるから不思議です。

隣に座っている息子の足がブラブラと動いていても、外でエレベーターの音が鳴っても、それらがBGMのように、全く気にならなくなりました。

家でも瞑想をすると、段々と1、2、3なんて数えなくても、自然に呼吸へ集中できるようになります。先生もおっしゃっていましたが、マインドフルネスができるようになるには、訓練が必要なのです。講座に出たからといって、すぐにできるようになるものではありません。

習い事と一緒で、家でも練習したりしないと獲得できない技術なのです。

瞑想中は余計な考えに支配されず、心が解放されます。その間だけは、過去でも未来でもなく、今に集中できたということになります。すると、頭がスッキリとし、その後の作業はとても集中して取り組めるようになります。

小3息子の感想

息子は、授業中や給食中にふざけている友達を見ると、どうしても笑ってしまう事が嫌だったそうです。(楽しくて良いと思うのですが)

笑いを堪えたい時、目をつぶってマインドフルネスを意識すると、心が無になって笑いを堪えられるようになったそうです。

目をつぶって嫌なこと(今回は笑ってしまうこと)から意識を遠ざけるというのも、有効な手立てだと先生はおっしゃいました。主人も嫌なことが会社であると、「ちょっとすみません」と言ってトイレへ逃げ込み、このマインドフルネスをして心を落ち着かせるそうです。

きぶんやママ
きぶんやママ

やらなければならないことで頭がいっぱいになった時、

ついカッとなって怒ってしまった時、マインドフルネスを

思い出して実践してみたいと思います。

私は最初、この本でマインドフルネスを学びました。色々出ているので、みさなんも好みのマインドフルネスの本を見つけてください。

「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門 [ ジャン・チョーズン・ベイズ ]

価格:1,760円
(2021/3/25 15:24時点)
感想(1件)

【米】吉野ケ里遺跡が滅んだ理由と米の関係

おにぎり

最近読んだ「日本の米」富山和子著を引用させていただき、先日は式年遷宮と米の関係についてブログでお話した。今日は、吉野ケ里遺跡と米の関係について、この本を参考にしてお話したい。

吉野ケ里遺跡といえば、佐賀県にある弥生時代の遺跡という風に認識している。皆さんも歴史の授業でそう習ったのではないか。イメージの中には、米を育てている人たちが出てくる。吉野ケ里遺跡と米は、もちろん関係あるでしょ。と、思いの皆さん。実は、滅んだ理由も米かもしれないという話を知っていただろうか。私は「日本の米」を読んで初めて知った。

吉野ケ里遺跡とは

まず、簡単に吉野ケ里遺跡のことをおさらいしよう。この遺跡は1989年に発見された。もともとみかん畑だったところを、工業地帯にしようと開発していた矢先に発見された。

魏志倭人伝に記された世界と似ているということで、ここが邪馬台国だったのではと話題騒然となった。候補の場所が他にもいくつかあるが、吉野ケ里遺跡もその候補場所の一つとなった。

集落の規模も大きく、弥生時代の前期・中期・後期と三つの段階を経て、その規模を拡大していった状況がうかがえる。高床式の倉庫群がずらっと並び、高い物見やぐらが復元されている。それほどに米が収穫され、まわりには広大な水田も広がっていたのだろう。

この王国は紀元前3世紀にはじまり、約600年続いだのち、3世紀後半に終わっている。小さなムラから始まり、次第に成長して、ついには王のいるクニへと発展した。しかしなぜだか、この台地上から姿を消してしまった。

次の古墳時代になっても、この吉野ケ里の辺りには大集落が見当たらないということだ。なぜなのだろうか。実は、それが、「米」と関係するかもしれないというのだ。

吉野ケ里が消えた秘密は「アオ灌漑」にある!?

「アオ灌漑」とは?

吉野ケ里が消えた秘密に、「アオ灌漑」があると、佐賀県出身の地理学者、広島大学名誉教授の米倉二郎さんが発表した。

「アオ灌漑」という言葉を知っているだろうか。私は初めて聞いた。「アオ」は、漢字で書くと淡水と書く。満潮時、海水に乗って逆流してくる川の水を言う。

もう少し詳しく言うと、川から吐き出された淡水は、干潮時にはるか沖合いに運ばれる。やがて満潮になると、海水の上に乗っかって、高い水位で陸地へ向かって押し戻される。

低地であれば、定期的にその「アオ」が地面を潤してくれる。いちいち川をせき止めて、水を水田にひいてこなくても済んでしまうのだ。川が吐き出した水を、海が陸地に返してくれる、これが「アオ灌漑」である。

「アオ」が来そうなところに稲を植えていけば、どこまでも水田は拡大する。こうして広げていったのが、吉野ケ里なのではないかという。

そういえば、世界の各地を見ても、川のほとりの海沿いで文明が発達していったのではないか。こうした自然の力に頼ったアオ利用の田畑づくりは、外国でも行われていたようだ。

低湿地から高いところへ文明が移る

しかし、この素晴らしい案も、徐々に避けられ、人々は低湿地から山間の高いところへと場所を移していく。なぜなら、こうした低湿地は、年中水につかり洪水にも流されやすい土地だったのだ。

水利用の技術が進むと、必要なときに水を引き、不要になれば排水できる場所の方が好ましくなった。生産性もはるかに高い。

稲作初期の時代、こうした水利用の技術を得てまわりの集落がより高い生産力を持つようになったとき、海の灌漑にのみ安住していた吉野ケ里が衰退した。これが、私が「日本の米」を読んで知った、吉野ケ里と米の関係である。

クニが繁栄するには、まず第一に人口が増えていくことが大前提だ。それを支えたのが米だった。だから、周りの国々や戦国時代の武将だって、土地を耕させ、水田を広げた。水田には向かないような悪条件な土地も、知恵と工夫と労力と、それこそ命がけで水田に作り上げた。

今現在、平たんになっている土地は、明らかにそうした人の力で平たんにされた土地であるそう。住んでいる近辺の土地、旅行した時に見る土地、それらを、そうした目線で見ると、今までとは違った目線で土地を見ることができるなぁと思う。

話がローマ帝国にまでおよぶ

著者である富山和子さんは、「一時的な技術に依存して衰退した吉野ケ里」を、「ローマ帝国の衰退」に重ねている。

都市や王国の盛衰を考えると、おおむね次のようなパターンをたどっているという。

一つの技術の優位性に頼る(例えば貿易)→農業を軽視する→食料は植民地依存→海軍力が衰える→自国の土地は疲弊(農業を軽視したから)→農業のにない手がいない→国が滅びる

どこかで聞いたことのある話ではないだろうか。農業のにない手が少なくなり、食料を輸入して食料自給率が下がっているこの日本の状況と似てはいないだろうか。

朝はパン派だなんて言っていないで、「米」を食べよう!それが日本の水田、農業を守ることにつながる!と私は思っている。

【米】式年遷宮20年サイクルと米の関係

最近「日本の米」富山和子著を読み、日本の米作りが日本の土地や環境、文化を作ってきたことを知った。

だから日本人の主食は米だったのかと納得した。

しかし、式年遷宮が20年であることにまで、稲が関係していたとは知らなかった。今日はその話をしたい。

式年遷宮とは?

式年遷宮のことをおさらいしてみよう。式年遷宮は国にとっても大行事で、20年に1度、伊勢神宮のお社を建て替える。この時使われる木材は、木曾の国有林からと決まっており、樹齢300年を超える巨木14000本を切り出す。

伊勢神宮の場合、10年ほどで小修理を加える「小遷宮」や「中遷宮」も行われてきた。

1300年続いているこの行事は、平成25年に62回目の遷宮が行われた。

この大行事、財源もそれなりに必要となるので中断された時期もあった。室町時代後期、遷宮費の徴収が困難になり、約120年間中断されたのだ。

しかし、織田信長と豊臣秀吉が献納したおかげで復活した。日本人の神に対する精神を思わずにはいられない。

式年遷宮が木曾の美林を残した

20年で建て替えなんて、我が家の家で考えればなんとももったいない話。

しかし、そのおかげで木曾の森林は手が入れられ、植林され、森林が守られている。

森林を守ることは、川を守り、それが海を守ることにもつながる。それに付随して、水田を守ることにもなり、米や魚介も守られ、それを食する日本人の命が守られるということになるのだ。

木を使うということは、健全な森林環境、ひいては日本の環境を守ることになるのだから、国費を使ってでも式年遷宮が行われることには大きな意味がある。

昔の財源は米

石油社会がやってくるつい最近まで、米は国家の財源であり、社会のエネルギー源だった。

だから、式年遷宮の財源も米だった。当時の制度では、神社の造営などの神事は、徴収し、倉に蓄えた税(米)で作り替える費用をまかなっていた。

もともと神宮の前身は、弥生時代の高床式の倉庫が原型と言われる。弥生時代は、倉庫が最も貴く神聖であった。

税である米を貯蔵し、それで建物を作り替える費用をまかなった。米は経済を動かし、人々を養った。

米の保存年限が20年

その米は、長期保存できる素晴らしい植物だが、その保存年限が20年とのこと。

え、20年ももたないでしょ?と思われただろうか。しかも貯蔵技術の乏しい時代に。

なんとこんな昔でも、米を貯蔵する技術があったのだ。蒸したご飯を乾燥させて旅などに持ち歩いた。これを、糒(ほしいい)と言う。

糒(ほしいい)の状態にすると、20年の貯蔵に耐えるのだ。

ちなみに、倉庫令というかつての法律では、「稲、穀、粟は9年、雑種は2年、糒は20年を貯蔵年限とせよ」と定められていた。

倉庫で蓄えられた税は蓄積され、米の貯蔵年限である20年まで貯え続けた後、社の作り替えを実施する。これが、式年遷宮20年周期の答えなのであった。

20年たつと、倉庫から取り出して処分するということが、律令時代、法律にも定められていたという。

神様のお供えものといえば、お花やお餅、器に盛ったご飯などが思い浮かぶ。

米を保存する倉庫が神聖なものとなり、いつしかそこに神々が住む社としてあがめられる。しかも、それは今でも続いており、米が財源ではなくなった今でも行われている。

日本人と米との深い関係。奥が深いなぁ。朝はパン派だなんて言ってないで、もっと米を食べよう!

「ていねいな暮らし」が日本のママを専業主婦にさせているかも?海外のママとの違い

丁寧な暮らしはいい暮らしだと思っていた。たから今までは図書館に行くと、そういう本ばかり借りてきた。

料理を手作りし、掃除をするときも重曹などの自然素材で、時には生活用品も手作り。外では食事で使えるハーブを育てる。そんな生活が私の考える「丁寧な暮らし」だった。

しかし、図書館の、普段は立ち寄らないコーナーである本に出会った。「家事のしすぎが日本を滅ぼす 佐光紀子著」

家事のしすぎが日本を滅ぼす

この本を読むと、私が考えていた「丁寧な暮らし」は本当によい暮らしなのかと思わずにはいられない。日本の主婦が理想とする家事は、世界から見ると異常なものかもしれない。

また、多くの日本の主婦たちが考えている「きちんとやる家事」は、歴史を紐解くと、かつての女中の仕事の基準であったことは、私をとても驚かせた。今日はその話を紹介したい。

「女中のいる家」の基準が核家族へ!?

本では、明治41年の高等女学校教科書が紹介されている。これから主婦になる女学生たちに家事全般を教えるために、「衣食住」「育児」「養老」「看病」「一家の管理」「家計の管理」などの情報が載っている教科書だ。

例えば献立については、「飽きると食欲が落ちるから、同じ食品を続けて使わず、なるべく献立を変えなさい」などの一文がある。

衣類については、汚れを見たらすぐに落とすための対策をしましょう、ちりや埃は絹・麻布なら羅紗やフランネルではらい、綿・毛布などはブラッシングしましょうと細かく指示されている。

電化が進んでいない時代にもかかわらず、昔の主婦はもっと細かく掃除をしていたんだなと思ってしまうが、そうではなさそうだ。なぜなら、当時の子ども達は、よほど恵まれた家庭でもない限り高等女学校には行けなかった。つまり、一部の恵まれた女子だけがこの教科書を使っていたということになる。


文部科学省の「日本の成長と教育」によると、(中略)当時小学校を卒業した子どもは全国で37万だが、そこから高等女学校へあがった女子は全国で800人しかいない。

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす 佐光紀子著より引用

広い家と土地を抱え、使用人を使って暮らしているような、とても特殊な家庭の子女のための教科書なのだ。さらに、教科書の内容の一部に「一家の管理」という項目があるが、これは使用人の管理も含まれる。


主婦の心得について出てくるのは下女・下男・召使の監督なのである。使用人を使用する目的から始まって、選び方、取り扱い方、給与など、6ページを割いて監督者の心得が書かれている。ちなみに、献立には5ページがあてられているので、「一家の管理」には献立よりも多くのページが割かれていることになる。

これはどういうことかというと、ここに書かれているような家事や、毎日献立が変わる食事のありようは、女中さんを置くような家庭向けの家事だったということだ。

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす 佐光紀子著より引用

つまり、このような細かな家事をきちんと使用人に指図できるように知っておきましょうということなのだ。自分がすべてやるというわけではない。

戦後、核家族が増えていく

戦後、使用人を抱えるような家庭は減り、核家族化が進行した。しかし、流通システムの発達、家電の発達で、使用人がいなくても「毎日違う献立」は作れるし、「毎日きちんと掃除する」ことも「毎日洗濯すること」もできるようになった。

しかし、なぜ女中がいなくてもそうした家事が成り立ったかといえば、女中の役割を専業主婦が引き受けたからにほかならない。

きちんとした家事が「丁寧な暮らし」へ

そうしてきちんと家事をするということが、私が理想としていた「丁寧な暮らし」へと発展した。しかし、もともとは女中の仕事であったことは私を驚かせた。

しかし、この「きちんとした家事」ができるのは、時間のゆとりが必要となる。専業主婦の私でさえ、きちんとやろうと思えば思うほど、やることは山のようにある。これを仕事を持つワーキングマザーまでやろうと思ったら、まず無理は話ではないか。

だから、日本では世界に類を見ないほど、専業主婦の人気が高い

海外では専業主婦は一般的ではない

海外はワーキングマザーの方が多く、専業主婦がもはや絶滅危惧種だという国があるという。そう聞くと、まるで日本人の女性が怠惰であるように聞こえるが、断じてそうではない。

私は、この本にもあるように、日本の女性に専業主婦が人気なのは「やるべき家事」や「やるべき育児」が多いからだと思う。そして、「丁寧な暮らし」が礼賛されている風潮もある。

しかし、実は日本人が「やるべき」と思っている家事は、海外ではまったくやるべきことではないという事実もある。海外の主婦は、もっと仕事を外注している。例えば、ベビーシッターを雇って、たまに夫婦でデートをしたり。

食事作りもバラエティに富んだものではなく、いつも同じものを作る。色々な国の料理なんて挑戦しない。そういうものはレストランに行けばよいのであって、自分の仕事をする方が大切だという考え方。

朝ご飯に見る海外の常識と日本の常識

皆さんは他の国の朝ごはんを見たことがあるだろうか。日本のように、今日はご飯、明日はパンと献立が劇的に変わることはない。

昔オーストリアを訪ねた時、ホテルで出た朝ご飯は毎日同じメニューだった。しかし、飽きて仕方ないなんていう人は皆無であるようだった。ホテルでさえそのような状態だから、一般の家庭では毎日同じであるのがむしろ当たり前である。

子どもの英語のDVDでは、お父さんが薄いパンにアボカドをボンっと突っ込み、それを娘さんに手渡ししていた。それが朝ご飯なのだ。その次に、お母さんはのんびりとソファに座っている映像が出て、娘が学校に行くのでほっぺにキスをして、気を付けて行ってくるのよと言っていた。

東南アジアの方では、家に台所もないところも多く、朝ご飯は屋台で食べるから朝ご飯を作ったことがないという人もたくさんいる。

それと比べたら、日本のママたちはなんと忙しいのだろう。朝は5時に起きて、床の掃除をし、洗濯機を回しながら朝ご飯と皆の弁当を作る。子どもの着替えの手伝いをしたりもする。歯を磨かせて、忘れ物のチェックをして、朝から「早く食べなさい!」「もう何時だと思ってるの!」なんて怒鳴ったりして。

まとめ

日本の主婦は「やるべき」と思っている家事・育児が多すぎる

「やるべき」と思っている家事・育児は、かつての女中の仕事であったかもしれない

「やるべき家事」が多いから、「専業主婦」じゃないとやっていけないと思ってしまう

もっと仕事を外注してもよいのではないか。それを怠慢だとかいう目で見る古い風潮が根強い。もっと海外のように肩の力を抜き、その分の労力を自分のスキルを活かした仕事へともっていかないともったいないし、これからの日本には女性の力がもっともっと必要だと思う。

「丁寧な暮らし」をあまり礼賛しすぎない。私も、ブログのスタイルを少し変えないといけないなぁと思った。

となりのトトロの表紙の女の子は誰?

少し前に友達からとなりのトトロのDVDをお借りした。子ども達に観せたいなぁとずっと思っていたのだ。

私も主人も、セリフがつい口から出てしまうくらい、よく覚えている。今観てもやっぱりトトロはかわいい。

当時は自分がさつきになった気持ちで観ていたことも思い出した。妹をメイに重ねて観ていた。

しかしこの年になると母親目線となり、我が子にさつきとメイを重ねて観てしまっている自分がいた。

この作品は、いくつになっても楽しめる、世代を越えた名作だとしみじみ思う。

我が子たちも気に入って、何度も何度も見返していた。時代背景が全然違うのに、子どもが面白いと思うポイントや、その時々の感情は今も変わらないようだ。

ところで、この表紙の子は誰?

ふとDVDのケースを眺めていたら、一つ不思議な所に気がついた。

雨の中、さつきがバス停でトトロに始めて出会うシーンの絵なのたが、トトロの隣に立っている女の子がさつきでもメイでもないのだ。

お話の中では、眠ってしまったメイをおんぶしているさつきが、赤い傘をさしているシーンのはずだが、どう見ても女の子が一人きり。

この女の子は一体誰だ?

トトロの隣に立つ女の子

色々調べてみる

ネットで色々調べてみると、私と同じ疑問を抱いた人が結構いる事と、この女の子が誰なのかがなんとなくわかってきた。

DVDをお借りした友達に聞いたら、気がつかなかったと言って色々調べてくれた。

さらに、家にあったからと貴重な資料まで貸してくれた。それは、上映当時のパンフレットと、徳間書店のとなりのトトロの雑誌。

映画上映パンフレット
上映当時のパンフレット
徳間書店トトロの雑誌
徳間書店の雑誌

この貴重な資料にその辺りの謎を解く手がかりが書いてあるに違いないと、何度も目を通した。

もともと主人公は一人の設定だった

徳間書店から出ているとなりのトトロ雑誌には、こう書いてある。

(となりのトトロの)映像化に当たり変更や追加が必要であった。古いボードでは主人公はメイだけであるが、映画化になるに当たって姉妹でいこうという考えがあつたらしく、真っ先に姉妹のボードに取りかかった。

ROMANALBUM となりのトトロ 徳間書店より

宮崎監督は、作品作りが始まる10年前からすでにこの構想があって、企画していたようだ。

つまり、あのDVDジャケットの少女は、その頃の少女であり、主役はメイ一人だったというから驚きである。

元のキャラクターの幼い部分と成長した部分を分けて生み出したかの様なサツキとメイ、ふたりの〈五月〉が生まれた。

ROMANALBUM となりのトトロ 徳間書店より

そういうことだったのか。きっと、わざわざ姉妹の絵ではなくて、当初のメイだけの絵をジャケットに採用したのも、この絵に並々ならぬ思いがあったからに違いない。

その辺の宮崎監督の思いがどこかに書かれていないかと探したが、ついにみつからなかった。

他にも色々と裏話が、、、

この雑誌には、他にも色々と裏話が載っていて、読めば読むほど面白い。

例えば、さつきとメイのお父さんの声を担当した糸井重里さんの話。

コピーライターの糸井重里さんが、娘さんを伴って来社。作品のイメージディスカッションを行う。娘さんと一緒の糸井さんは、コピーライターというわゆりも、いかにも「お父さん」であり思わず、お父さんの糸井さん来社といった感じだった。が、よもや後にさつきとメイの「お父さん」を演じることになるとは思わなかった。

ROMANALBUM となりのトトロ 徳間書店より

当時の私は、糸井さんだけ声優さんじゃないからか、何か単調で違和感を感じた。

しかし今では、淡々とした語り口調が大学の先生らしさもあり、娘に優しく語りかけるところやお風呂で大はしゃぎする声が父親らしくもあるなぁと感じている。

きっと監督も、父親役は本物の父親にしな出せないと感じてのことだったのだろうなと思う。

他にも色々と裏話があり、書き出すとブログが1ヶ月くらいこの話題になりそうなので、このあたりでやめておく。

貴重な資料とDVDを貸してくれた友達にお礼を言いたい。

となりのトトロは、これからも廃れることなく、語り継がれていってほしい名作だと思う。我が家もDVDを買おうかな。