本当の意味で物を大事にするとは?断捨離と両立できるか

リメイクして作った袋 暮らし

ここのところの外出自粛で、家にいる時間が長くなる中、断捨離して家のものを整理している方が多いそうである。我が家も例外ではない。

ところで、「断捨離すること」と「物を大事にすること」とは、相反することなのか、それを今日は考えてみる。

今と昔で違う?断捨離の必要性

ゴミの日に、いつもより多くなっている我が家のゴミを見た、年配のご近所の方がこう言う。「あら、随分片付けたのね、私は古い人間だから捨てられないのよ。」

確かに戦前は物が少なく、物を大事にすることが美徳とされていた時代。そこからすると、「若い人は物を大事にしない、すぐ捨てる」という風に見られているに違いない。

でも今の時代、無料で手に入ってしまうもののなんと多いことか。何かを買った時にもらったエコバッグ、お祭りでもらったプラスチックのおもちゃ、レストランのキッズメニューのおまけ、、、。

予期せずしてもらう物たち。そうした物達は、吟味して気に入って得た物ではないので、だいたい我が家に合わなかったり、使わなかったり、多すぎたりする。

昔と違って、家に物があふれやすい。たから、今の世の中は断捨離が必要なのだと思う。

物を大事にしながら断捨離するには?

だからといって、何でも不用品は捨てるのかというと、そこは考える必要がある

そこで、「物を世に循環させる」という考え方が必要になる。自分が不要だと思っても、他人には必要な場合もある。必要な人の手元に渡るよう、使えるものは差し上げたり、寄付したり、売る。

でも一番は、自分が使いきることが出来たら。それが物とのつきあい方で最善だと思っている。

使いきった物たちは、物への執着を解き放ち、いさぎよく捨てる。不要だが、まだ使えそうなものは、世に循環させる。ミニマリストさん達は、気持ちよいくらいにそれが出来る。

思い入れのある物はどうしたらよい?

私もミニマリストさんの心持ちを見習って、近づこうと努力しているのだが、今一つミニマリストさんのようにいかない。それが、思い入れのある物との決別。これが出来ない。

例えば、子どもが小さかった時に着ていた服。子どもが乳児だった時に使っていたマザーズバッグ。お祝いで頂いたバスタオル。多くは、譲ったりして手放せたが、一部手元に残ったものがある。

娘に作ったワンピース
初めて娘に作ったワンピース

私は、これらをただ漫然と押し入れにしまうのも抵抗があった。それでは、大事にしているというよりは、捨てられないからとりあえずしまっただけ、という感覚。だんだん、あることさえ忘れてしまう。

それは、本当に物を大切にすることになるのだろうか。使いきることには決してならない。

ヒントは祖母の「リメイク」にあった

私の亡くなった祖母は、着られなくなった大人の服から子ども服を作ったという。今で言う「リメイク」だ。私のやりたいことはこれだった。

つまり、思い入れのあるどうしても捨てられない物達は、しまいこむのではなく、違う形に姿を変えて使いきるようにする。これが私が、物を大事にしていた祖母から学んだ答え、「リメイク」だ

ワンピースを袋にリメイク
先程のワンピースをほどいて作った袋達。

リメイクすることで得たこと

そこで、私は今まで色々なリメイクをしてきた。そうしたもの達は、新たな命を吹き込まれ、また私達家族の役に立ってくれた。

もちろん失敗作もある。でも、それはそれでよいのだ。

捨てられない気持ちから葛藤し、時間と労力をかけて形を変えてはみたが失敗。でもその過程の中で、しっかりとその物と向き合った。私の中で、その物への執着を捨てるには必要な作業だったのだ。

不思議と、その失敗作はすんなりお別れすることが出来る。失敗したけど、こんなに苦労して作ったから取っておこうとは思わない。

多分、ちゃんと向き合えたのだ。府に落ちた。

禅語「下載清風」(あさいせいふう)

また突然禅語を書いてしまった。断捨離の話を書いていたら、この言葉がふと頭に浮かぶ。

この言葉は、船が積荷をおろすと風に乗って軽やかに航海するという意味だそう。

しかし、建功寺住職の枡野俊明さんはこのように述べている。

日常生活では、実際に持っているものを減らすことで心も体も楽になります。ひとつ捨てることは執着からひとつ離れること。、、、中略、、、荷物をおろしてしまえば、足取りはぐんと軽くなります。

幸せを感じる心の育て方 枡野俊明・著

積荷をおろした船のように、私も心の重荷をおろし、物の執着を少なくして、新たな風を受けて足取りを軽くしたい。

そのために、すごく遠回りの道のりだが、リメイクして物を使いきりながら暮らしたい。ミニマリストさんのようにいかない、不器用な私が出した私なりの答えだった。

タイトルとURLをコピーしました