色々な感覚が過敏な小4の息子。過敏だから、教室内でも結構気を使うことがあり、疲れ果ててしまった息子。
ある日、「僕は特別支援学級に行きたい」と言い出しました。少人数制の特別支援学級が好ましく思った様子。そこで、学校に週1回いらっしゃるスクールカウンセラーの先生に相談してみました。
すると、なぜ特別支援学級に行きたくなったのか、その背景にある思いが浮き彫りになったのです。今日はそんな話を書こうと思います。
同じくhsc(感覚過敏)で、クラスにいるのが辛くなっている子に参考になると思います。
hsc(感覚過敏)の息子が感じていた思い
まずは、クラス内で息子が感じていた思いについて整理したいと思います。
2.人と話す時、相手の反応やどう思われているかが気になり、話しにくい
3.授業中うるさい子がいて気になる
4.人と話す時、目を合わせられない
以上が本日、息子の口から出た悩みでした。一つずつスクールカウンセラーの先生がどう応えられたか、解説していこうと思います。
1.失敗をすると、後々までずっと覚えていて辛い
クラス内で何か失敗をした時、クラスの友達から言われた何気ない一言や先生の言葉がずっと忘れられず、心に残って辛いという息子。
まずカウンセラーの先生は、何の失敗かによって話を分けられました。
【授業の内容で失敗した場合】
これは全く気にする必要はないとのこと。学校はわからないことを学びに来ているので、間違うことはとても自然なことです。
ある校長先生は、「学校での失敗はどんどんしてください。失敗をせず、全部100点だったら、学校に来ている意味がない。間違ったということは、それについて学べたということです。」とおっしゃっていました。
間違うと、今までの知識が間違っていたことを知ることができます。失敗して、むしろ知見が広まったのです。
テストというのは、子ども達がどこを理解し、どこが理解できていなかったかを知るためのもの。子ども達の成長を確かめるものでもあります。100点をとることがベストなわけではないのですね。
【失敗をした時の周りの反応が気になる場合】
息子の場合、周りに対して過度に感覚が過敏な為、間違った自分を周りがどう思っているかが気になるようです。その時に感じる思いは、恥ずかしさ、やり切れなさ、そういった類の思いです。また、単純に「馬鹿にされていないか」との思いもあるよう。
極端な話、一人でこっそり間違ったり失敗をしても、一向に構わないのです。そこに大人数がいるかどうか、そこがポイントのようです。
そして、それが「特別支援学級に行きたい」と言った彼の思いにつながるものでした。特別支援学級は少人数なので、多くの人からどう思われるかを気にすることがありません。失敗を恐ることなく、伸び伸びと生活できると思ったのです。
そんな彼に対して、カウンセラーの先生はこう言います。
誰しも万能な人はいません。皆が皆すべての教科を100点とるわけではありません。当然間違うこともあるわけです。
息子が何かの問題を間違って発表した場合、同じように間違って考えていたクラスの友達がいるかもしれません。同じように間違っていた子は、息子が間違ったことによって「自分もそうだと思ってた」と間違いに気づくことができました。
逆に、ほとんどの子が合っていて、自分だけが間違っていたとしても、「そういう考え方をする人もいるんだ」ということを皆が知ります。
社会に出ると、色々な意見を言う人がいます。どれが正解とも言えないこともあります。自分の答えだけが正義ではありません。学校は、そういう社会に出るための予備練習でもあります。
【そうはいっても気になる場合】
しかし、そうはいっても周りの反応が気になりすぎる息子。いくら「間違っても良いんだよ」と言われても、気になるものは気になります。
そこで、カウンセラーの先生は提案します。「気にしすぎる」人がいる一方で、「気にしなさすぎる」人もいます。
気にしすぎる度合いが強すぎて、毎日一言も話せず無言だと辛いですね。それは解決しなくてはならない問題になります。
一方、気にしなさすぎる度合いが強すぎて、人のことなどお構いなしにずっとしゃべりまくる人もいます。そちらも、周りの人が辛くなる度合いの場合、解決しなくてはならない問題になります。
結局、両極端でないなら問題はなく、どちらかに寄っていても構わないというのが先生の結論です。
息子は、気になりつつもなんとか少し話をすることができている状態です。限りなく「気にしすぎ」寄りではありますが、何とか社会の中で生きている。それは、問題ではないということです。
しかし、辛さがマックスになり、一言も話せなくなった場合は要配慮。それは解決するべき問題となります。そんな時は、またカウンセラーの先生に相談する必要があります。
息子にとって、いつでも話を聞いてくれる人がいるというのはありがたい話です。それは、親であってもいいし、近所の誰かであっても構いません。
大人でも、バランスよく真ん中のレベルの人はあまりいなくて、どちらかに寄っているものですよね。でも、いろいろな人が集まって社会はできています。
大切なのは、「どちらに寄っていてもよい」「あなたはあなたのままで良い」ということ。どちらのタイプも必要な人たちなんだなと思えました。
2.人と話す時、相手の反応やどう思われているかが気になり、話しにくい
相手の反応が非常に気になる息子。相手が自分の話を聞いて、つまらないとか面倒だなとか、マイナスな思いを抱いていないかが気になり、話しにくいのだそうです。
すると、カウンセラーの先生はこう応えました。
もし相手がつまらなそうなそぶりを見せたら、それは息子がつまらないのではなく、話の内容に興味が持てなかっただけかもしれないということ。
この子はこういう話が好きじゃないんだなと、その子のことが一つ新しく知れた、それで良しというのです。先程の失敗の話と似ていますね。
息子は相手に対しても失敗したくないという気持ちがあるのかもしれません。
そして、こんなアドバイスもありました。相手がつまらなさそうにしていたら、相手の話を聞いてあげるのも良いとのこと。
私はこの手を、よく主人に使います。主人はいつも私の話を、聞いているんだか聞いていないんだか、よくわからない感じで聞いています。反応はいつも、「ふんふん」とうなずくのみ。
女性はこういう対応に我慢ができない生き物です。感想やあいづちなどを期待してしまいます。ところがまったくなし。そこで、主人に話を振るのです。
話がそれましたが、、、。
3.授業中うるさい子がいて気になる
息子はこんな性格でもあることから、授業中はいたって静かです。当然真逆な子がクラスには必ずいるものです。そうした子が、嫌いではないけどうるさく感じて、授業に集中できないのです。
カウンセラーの先生は、そうした子はきっと「気にしなさすぎ」寄りの子達かもしれないねと言います。
先程の表の通り、気にしすぎの子もいれば、気にしなさすぎ寄りの子もいるのが自然な社会。そして、そんな子達は息子と真逆で、恐れを知らずどんどん先頭切って進んでいける子でもあります。そんな子ども達も社会には必要なのです。
もし、息子のような慎重派な人だけで社会が成り立っていたら、物事はなかなか前に進みません。
「気にしなさすぎ」の子を「気にしすぎ」て、授業が全く頭に入らない程度だったら、解決するべき問題です。しかし、息子は「うるさいなぁ」と思いつつもなんとか授業を受けられています。
大事なのは、ここでも「どちらに寄っていてもOK」という考え方。そして、お互いがそうした真逆な人達も必要なのだと理解し、尊重し合うことが大切です。それが学べるのが学校という場だと思います。
4.人と話す時、目を合わせられない
よく自閉症の症状として、「人と話す時に目が合わせられない」という項目があがります。息子もあまり目が合わせられません。
もしかして、息子も自閉症の兆候があるのかなと思っていました。小さい頃からこだわりも強かったのも気になっていました。
ところが、カウンセラーの先生はこう言います。
自閉症の方の「目が合わせられない」は、相手の反応をあまり気にせず、目を合わす意味を感じ取れない、そうしたことから「目が合わない」のだそうです。
ところが、息子は「恥ずかしくてたまらないから、どうしても目を合わせられない」と言います。相手の反応を気にしすぎて、目が合わせられない。「同じ目が合わない」でもまったく別物だということです。
また、「こだわりが強い」というのも自閉症の症状としてあがります。自閉症の方の「こだわり」は、本当に強く、最初のルールが全く崩せないのが特徴。例えば途中で時間割が変わるのはなかなか受け入れられません。サイズアウトしてしまった靴であっても、新しい靴になると「自分の靴がない」と探し回ってしまいます。最初の認識を変えるのが難しい「こだわり」となります。
ところが、息子の「こだわり」は、失敗したくない、安心のための「こだわり」です。例えば、こちらの道では昔恐ろしい犬に出会った。だから、必ずこの道は通らず違う道で帰る。失敗を回避するための「こだわり」だったのです。
この「こだわり」は思い当たるふしがたくさんあります。ラーメンも、このメーカーじゃなきゃ絶対食べないというこだわりがあるのですが、それも違うラーメンだと食べられないかも知れないという恐怖心で「こだわって」いるのです。
やはり、ここでも息子のキーワードは「失敗したくない」ことが関わっています。
まとめ
「失敗したくない」という根底にある思いが強く働いている息子。周りの環境に対してセンサーが過敏に働き、相手に対して「気にしすぎ」寄りの反応を示してしまいます。
しかし、世の中には気にしすぎの人もいれば、気にしすぎない人もいます。どちらの性格の人も必要で、どちらかだけの世界はあり得ません。
性格を矯正しようだなんて思わず、そのままで良いのです。ただし、両極端側に偏りすぎて、生きづらくなってしまった時は他者の助けが必要です。
学校にはカウンセラーの先生が配属されているところも多いと聞きます。配属されていなくても、子ども相談電話など公的な事業もあります。
辛いメーターがマックス10だとして、常に8や9レベルの人は相談された方が良いと思います。相談することで、息子は辛いメーターが3になりました。それは、自分でこんな自分はダメだと否定していたからだと思います。そういう人も必要、「そのままで良い」と思えたら、だいぶストレスが減りました。
辛いメーターが0はあり得ないので、5を超えないくらいで毎日生活できたら最高です。もし超えそうになったら、またカウンセラーの先生に頼ることができます。
誰かに頼るのは悪いことではありません。辛くなったら誰かに思いを吐き出してみてください。