【離乳食】果汁はあげるのか、いつから始めるのか、離乳食の指導がいろいろ存在するのはなぜ?

わからない人 子どもの食
ママさん
ママさん

離乳食の相談をしたいけど、みんな言うことが違うんです。

誰が一体正しいの?

きぶんやママ
きぶんやママ

保健所で言われたこと、母親に注意されたこと、

病院の先生のいうこと、育児書にのっていること。

みんな微妙に違いますよね。

なぜこんなことになっているのか、解説します。

結論から言うと

=MEMO=
「戦後のおかしな栄養学」と、「人工乳中心の育児の考え方がいまだに続いている」という二点が離乳食指導が色々存在する理由

「果汁はあげるのか?」「離乳食はいつから始めたらよいの?」「フォローアップミルクは必要」「水分は母乳以外にもあげるの?」こうした疑問に、専門家の言うことがバラバラなのは、こんな理由があるのです。次に詳しく解説していきます。

目次

  1. 戦後のおかしな栄養学
  2. 人工乳中心の考え方がいまだに存在する
  3. 江戸時代の離乳食は8か月からだった
  4. まとめ

1、戦後のおかしな栄養学

私は10年ほど前に保健所で管理栄養士として働いていました。授乳や離乳食指導も行っていました。

当時の私が指導のよりどころとしていたのは、平成18年(2007年)3月発行された厚生労働省の「授乳・離乳の支援ガイド」。どこの保健所も、これを元に指導をしなさいという通達があったため、全員これを念頭に置いて指導を行っていました。

このガイドはおかしなものでもなんでもなく、戦後から続いてきた離乳食指導を払拭するものでした。しかし、このガイドが出る前は、今から考えれば異常な指導であったと私は思います。

そして、当時の私は、そうした指導が過去になされてきたことを知りませんでした。また、自分の親もそうした指導を受け、私自身もその指導の元育ってきたという事実にとても驚きました。

戦後の離乳食指導はどういうものだったのか

戦後は栄養不良の人たちであふれかえっていた時代。当然、最優先されることは栄養を多くとることでした。しかも、日本は戦争で負けてしまいました。多くの人たちは、日本人が戦争で負けたのは、欧米の人たちよりも栄養が足りていなくて、体格が小さいからだという思いがあったようです。

だから、戦後の日本は欧米の食生活を取り入れ今までの日本の食事を否定し、「主食はパンを」「もっともっとたんぱく質をとらないと」「カルシウムは足りているか」「油もとらないといけない」「もっとカロリーを増やせ」そういう指導がなされたのです。そして、当然それが赤ちゃんの食べ物である「母乳」と「離乳食」の考え方にも影響を与えました

戦後の指導は、早くたんぱく質をあげなさい、牛乳を飲ませなさいという指導だった

2、人工乳中心の考え方がいまだに存在する

当時は母乳の研究が進んでいなかったので、「人工乳の方が母乳より優れている」なんて言葉まで広まっていました。今考えればとんでもないことです。

今の人工乳(粉ミルク)は、母乳の研究が進んだおかげで、母乳に近い成分を目指していて、当時の粉ミルクより格段に良いものにはなっています。しかし、当時の人工乳は、母乳よりも牛乳の成分に近いものでした。

牛乳の成分に近かったため、当時の人工乳は鉄分とビタミンCが少なかったのです。それで、ビタミンCが豊富な「果汁」を与えなさいという指導になりました。

だから、私が赤ちゃんだったころ、私の母は果汁を水で薄めたようなものもあげていたといいます。それで、少し前の育児を経験してきた方々は、「果汁をあげないの?」と今のママたちに言ったりするのです。

さらに、鉄分が少なかったため、早くたんぱく質を食品で補わないといけないという考え方「早期離乳」の考え方が出てきました。しかし、早期すぎると食品アレルギーの症状が出たりするため、今では「5~6か月から赤ちゃんの様子を見ながら」という表記に変わったのですが、昔は2~3か月から果汁をなんて表記もあったりしました。

この早期離乳の考え方は、成分が牛乳に近い人工乳(粉ミルク)とセットにした考え方。つまり、完全母乳の人にはまったく意味のないものだったし、現在の粉ミルクは改良が進んでいるのでこれも当てはまらない。したがって、現在は果汁もいらないし、早期離乳も必要がないのです。

にもかかわらず、いまだにそれを唱えている医療関係者もいます。さらにそうやって育児をしてきた母親たちが、今ばぁばになってそれを娘に伝える方もいるのでしょう。だから、いろいろな離乳食の迷信が今のママたちを惑わすのです。

昔の粉ミルクは鉄分とビタミンCが少なかったので、早期離乳の指導がなされていた。
当時は母乳より粉ミルクの方が優れているという考え方もあった。
いまだに早期離乳の指導が抜け切れていない人もいる

江戸時代の離乳食は8か月からだった

日本人は昔から、そんなに早く離乳食を始めていたのだろうか。実はそんなことはありません。実は、江戸時代の頃は歯が生えだすころの8か月からあげていたといいます。

時代によってもこんなに違う。でも日本人はそれでずっと生活してきたのです。それで子どもに何か問題が起きたかといえば、そんなことは起きていません。

まとめ

=MEMO=
戦後、日本人の体格向上を目指した欧米由来の栄養学が始まった
母乳より人工乳をすすめ、人工乳に足りないタンパク質とビタミンCのために早期離乳が良しとされた時代があった
いまだに昔の離乳食指導が抜け切れていない人々もいる

それまでは、赤ちゃんが欲するように母乳をあげ、離乳食もなんとなく欲しがった時期から親のご飯を少しずつ食べさせ、親は離乳食にそれほど悩むこともなく皆大きくなっていました。

私は保健所を退職したあと、ちょうど息子が生後5か月くらいだったので、保健所で指導していたようにきっちり離乳食を進めました。卒乳も1歳半の誕生日までと決めていました。

しかし、第2子の娘は、娘が欲するように母乳を与え、いかにも食べたそうだったら私の食事から食べられそうな柔らかいものをあげ卒乳も期限を決めずに娘が納得するまであげていました。

どちらが幸せだったか。マニュアル通り進めた息子との育児は、とても順調だったとはいえ、悩み苦しみ焦りを伴うものだったかもしれません。娘の育児はのんびりと、でもきっと親子共々笑顔の多い幸せな育児だったのではないでしょうか。そう振り返ります。

子育ては、親子の数だけ様々なタイプがある。それを、画一的に指導してはいけない。それをわかっていながら、自分の育児では、やはり画一的に進めてしまった息子の育児。

今まさに赤ちゃんと過ごしている方や、これからその予定がある方は、ぜひそういう指導に縛られず、「よそはよそ、うちはうち」と、気にせず貫いて欲しい。一番の正解はお子さんが教えてくれるのだと私は思います。

悩んだときは、自分の気持ちに寄り添い、話を聞いてくれる人に聞くのが一番です。離乳が早く進みすぎて困るという人はほぼいません。だいたいが、マニュアル通りに進まないという悩みが大多数です。

きぶんやママ
きぶんやママ

マニュアル通りに進まないからといって、自分やお子さんを責めないでくださいね。

マニュアル通り進まないのが当たり前なのです。

「よそはよそ、うちはうち」

ママと赤ちゃんが今日も元気なのであれば、それはその親子の正解です!

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